戦後まもない時期、創業者である父が、余った紙を集めて、お届けする仕事から当社の営みははじまりました。
北は青森まで、リンゴにかぶせる紙などを届けていたことを思い出します。
その後、紙の販売とあわせて断裁業を行い、主に、印刷会社から請け負っていました。当時の工場は、木造2階建てで、断裁機が5台ほどあり、断裁して紙を届ける仕事が主要業務でした。高度成長期で、チラシ全盛の時代でした。多くのチラシを断裁してスーパーなどに届けていましたね。
中村紙業は、昭和37年に有限会社として設立し、まもなく私も入社しました。
その頃から製本機の導入も行い、昭和40年代は、大手印刷会社などの仕事も増えていきました。
昭和52年に入ると、梱包・運送の依頼を一気に引き受けたことをきっかけに、梱包・運送部門のユニバーサルを設立しました。
現在の会社の体制の基礎は、この頃で出来上がったように思います。
昭和54年に私が38歳で社長を受け継ぎ、
平成20年、息子が同じく38歳のときに社長業を引き継ぎ、現在に至ります。
息子たち(現社長と専務)が入社した当時、売上のほとんどを占めていた取引先の会社の内製化により、白紙断裁の受注を大幅に失ってしまいました。当時は、息子二人が会社に入り、その家族もいるため、かなり危機感がありました。
しかし、印刷部門にも事業拡大している時期であったり、同業の仲間の力を借りて、なんとか乗り切ることができました。
先月まで当たり前のようにいただいていた仕事が、取引先の事情で突然なくなることは実際にあることですね。弊社がなんとか乗り切ってこれたのは、新しい分野の仕事にもチャレンジしていったことにあると思います。
チャレンジしていくことは、知らない分野の仕事になるわけですから、当初は苦労もあるしリスクもあります。しかし、その仕事がいつのまにか日常業務になったときには、会社として新たな体力をつけ仕事の幅が広がっているんです。常にチャレンジしてきたことが、大きな危機も乗りこえる体力をつけていたように思います。
当時は、突然仕事がなくなり悔しい思いをしました。しかし、思い起こせば、新たなチャレンジの機会を作ってくれたのも、実はその取引先でした。
新しい仕事にチャレンジすることは、将来への体力造り。新しい仕事をいただけることは、非常にありがたいことなんですね。
「小さな仕事を大事にしていくこと」ですね。
変なつながりではなく、"いい仕事"で人とつながっていくこと。
これができていれば、どんなに業態が変化していっても、そのつながりの中で対応していくことができるんです。
おかげさまで、ここ15年で、従業員数も3倍になりました。
しかし、会社を大きくすることを望んでいるわけではありません。小さな仕事をしっかりコツコツやっていくことで、会社も社員もその家族も継続的に安泰であることが私の願いです。